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巻頭エッセイ

Commentary Vol. 089 (2017年1月26日)「人の国際移動のガバナンスと国家の役割-「非合理的」決断は可能か?」 岡部みどり (上智大学法学部教授)

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EU司法内務理事会で出入国管理の対外政策を統括しているC氏と懇意にしている。かれこれ10年余りになる付き合いである。ブリュッセルへ出張するとほぼ必ず出迎えてくれて、時折食事を共にしながら仕事の話をする。仕事だけでなく家族や人生について語り合う事もある。父のような存在である。

一昨年前の夏、ちょうどシリア難民の問題が泥沼化する直前だったと思う。彼は私に「何か妙案はないか」と尋ねた。「このままだと収拾がつかない状態になるのは目に見えている。けれども、一体どうやって対応すれば良いのだろう」と。

正直、驚いた。その道のエキスパートどうし、これまでおそらく数え切れないほど多くの協議を重ねてきたであろうに 、EUの現状はそれでも解決できないほど深刻なのか、と改めて感じた。

確かに、この問題は根が深い。EUや主要加盟国の政策が現実に即応していないという指摘は正しい。しかし、「そんなことはずっと前から分かっている」というのが多くの当事者の本音だろう。マイグレーションは今や最も大きなグローバル・イシューの一つとなっており、多くの人々が関心を寄せている。そして、その反映として多くの意見が巷に溢れている。政策を扱う側としては、「御説御尤も。でも現実はそううまくいかないんですよ」とでも言いたいところだろう。

国家が有効な出入国管理を全うできないのはなぜか、という問題は、主に欧米の学界においては、国家が国際的な人の移動に翻弄されているかのような現象はリベラル民主主義国家の限界であるのか、という問題として、既に1990年代から検討されていた。グローバル化が人の国際移動を制御する国家主権を損なっているという考え方に対し、フリーマン、ヨプケ、ラハフら政治学者は、グローバル化が厚みを増す時代にあっても国家には未だ出入国管理についてのルール形成能力があり、また、国内の諸々の政治的意思を調整する機能があると論じていた。実際に、シェンゲン空間成立から現在に至るまで、EUでは300を優に超える法律が採択されている。起案中のものも含めるならば相当の数になるだろう。主要加盟国でも同じ傾向にある。つまり、国家やその集合体としてのEUは政策を主体的に形成する能力を未だに保持している。特に、違法な入国/滞在を取り締まる法制度の整備は以前に比べて格段に進んでいる。では、それほど行政上の能力があるはずのEUや加盟国がなぜ危機に直面しているのか。

人の国際移動、とりわけ難民問題を取り扱うとき、国家の合理的な行動と倫理に基づく行動の評価が混同されてしまうことがある。まず、受け入れの拡大は寛大で道徳的に良い行為とみなされる。小規模な受け入れは人道上よろしくないと批判され、他方で、大規模な受け入れの末苦境に立たされているヨーロッパ諸国は、まるで国家が美徳の達成を目的としていて、いわば自己犠牲の結果その出入国管理が機能不全に陥ったかのように伝えられる。

ここでモーゲンソーを引かなくとも、政治家の道徳的な独善がその政治行為に直結するわけではないことは言うまでもないであろう。勿論、死の危険や恐怖から人々を救わなくても良いなどという話ではない。自国の死活的利益を守ろうとするのが合理的なリーダーのあり方だという話である。メルケル首相の判断は、高邁な精神に基づく犠牲を国民に強いたというよりも、政治家としての合理性に基づくものであったと捉える方が自然であろう。労働力不足を補うためであれ、人道的な見地からであれ、シリア難民に対して寛容な政策を求めるドイツ国内の選挙民の声に応えたという点で、彼女の行動は政治的には正しかった。失敗は、むしろ、合理的行動を受け入れ後も継続できていないことにある。つまり、受け入れた人々が予測不可能な程度にまで安全保障上の脅威になっていることが選挙民の政治意思を移ろいやすくしているという状態に対応できていないことが問題なのである。

それでは、メルケル氏やEUのリーダー達は一体何をすればよいのか?受け入れた難民をシリアに送り返せばよいというわけにもいかない。人の流れに対して一度門戸を開いてしまったならば、人はなかなか祖国には戻らない。マイグレーション研究の経験的蓄積もこれを裏付けている。また、ノン・ルフルマン原則への抵触を避けるにはシリア内戦の早期の、しかも長期の安定につながる終結が不可欠だが、実現は難しいだろう。EUに隣接する諸国への負担分担を求める戦略は、当のEU加盟国民から期待薄と見放されている。それに、隣接国の制度やインフラ整備支援という新たな課題を抱えることにもなる。外国人に対する門戸を開くにせよ閉じるにせよ、自らの政治的な力を損なうことなく問題解決ができるような決定的な選択肢を探し出せないことこそが、現在のEU指導者が共通に抱える深い悩みであろう。

「何か知恵はないか」という切実な質問に愚考を承知で敢えて意見を述べるならば、責任能力という意味において外国人と国民の安定的な共生を図る能力を現実的にも実質的にも有しているのは、どれほど頼りなく見えても、目下のところ、国家とその集合体としてのEUだけだということである。外国人を脅威と煽るポピュリスト政党は、いざ選挙民の支持を集めたところで政策遂行能力を持たない。Brexit国民投票後のUKIPファラージュ元党首の言動を想起されたい。他方で、外国人の権利擁護にあたる側は、受け入れ国家の再分配機能の限界を考慮しない点で非現実的であるばかりでなく、受け入れ社会の国民の福利厚生について非情なまでに無関心である。

世界各国はできる限り歩調を合わせて紛争を可及的速やかに平和裡に解決する努力を続けながら、出入国管理にかかわる現在進行中のあらゆる政策とその成果をそれぞれ丁寧に国民に伝えていくよりほかはない。混乱を整理していくプロセスを透明化するのである。これを、外国人の受け入れをめぐる是非のいずれの声にも過度に惑わされず、地道に行っていくことが肝要である。しかし、そのことが今日どれほど政治的に難しいかということを、各国のリーダー達は痛いほど分かっている。言わば「非合理な」政治的決断があらゆる人々にとっての最適な状態につながるという確信が得られない限り、彼らの悩みは続くだろう。